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レビュー

《特別企画》秋盤レビュー:P.N. 彩

私にとっての「あのキラキラした綺麗事」の話はここから始まるのでまどろっこしいですがしばしお付き合いくださいね。
あるお寺の御守りをだいじに持っているのだけど、本当は一年に一回お寺にお返しに行かないといけないんですよね。
江原啓之先生いわくマイナスの蓄電池になるとかで。
でもそのお寺のある東京への電車賃むっちゃ高くなって、おいそれとは返せなくなってしまって。
夜眠れないときに袋から出して吊してみる。
「神様なんていないんだって」
と門田氏の名言を一人ごちてみたりして。
そう思うと心が楽になることがいっぱいあって、こんなに素晴らしい音楽で心を癒やしてくれる人がいるのなら、
「神様なんていないなんて言わないとまでいかなくても、この世もなかなか捨てたもんじゃないんじゃないの」
ってお守りに刺繍されている金色の龍と目を合わせて言う。
眠る前にこんな音楽を奏でてくれたり音楽を届けてくれる人たち、それを望んでいる人たちが幸せでありますようにってその龍にお祈りするのが習慣になった。
そうしたら不思議と自分まで幸せになった。
このアルバムには「別れ」の鎮魂と「再会」への祈りが込められている傑作だけど、いまわたしの手にしているのは叶うか叶わないかとか、会えるか会えないかとかとは趣を異にした、「きぼう」というものだった。
そうしてわたしはこの世をほんの少しだけ好きになって、眠りにつく。
黄金に色づく秋の音色と共に。

レビュー

《特別企画》白盤(WWW)レビュー:P.N.127

わたしは歌を歌うのだけど、時々自分の胸に聞いてみる。
音楽をやる上で、どんな欲望がそれを突き動かしますか?
と。
人から賞賛されたい?

他人とは違う特別な自分として扱われたい?

人を蹴落として自分は成功したい?

自分の声を捨てて、他人の声になりたい?

世界は広くて、いろんな人がいて、いろんな欲望がある。

けれど、門田匡陽がこのアルバムに冠した「清く、正しく、うつくしく」という騎士道精神にも似た音楽はその答えのどれにも当てはまらない。

最近世の中が忙しくて、歌を歌っている時しか自分が自分でないような感覚がある。

誰にも奪えない、自分だけの時間。

一個の音符の中に無限の可能性があって、その中から最高と思われるものを選んで自分の音楽を作り上げて行く、孤独な作業。

比べるのはおこがましいけれど、門田さんもそうなのかな、とふと突っ伏して思ったりして。

そんな孤独な作業の中、門田さんの歌う「君は光、僕の誇り」というラストセンテンスが響く。
まるですべてがこのために用意されたような計算し尽くされた構成。

清く、正しく、うつくしく、を音楽で体現するのは難しい。

でも門田さんは「君」が生きている限り、孤独ではないのかもしれない。

どんな希望が、あなたの音楽を突き動かしますか?

それを聞けばミュージシャンの秘密をほんのちょっと教えてもらえるかもしれない。

答えはいつも目の前にあるのだから。

レビュー

《特別企画》夏盤レビュー:P.N.あかり

一曲目、ユーモラスなコーラスが心地よい「バネのいかれたベッドの上で」、ですが、とにかく楢原氏のアイリッシュな香り立つヴァイオリンに注目です。
一度だけテレビでロマの人のヴァイオリ二ストを見たことがありますが、それにも通ずる超絶技巧。
二曲目「その自慰が終わったなら」これぞギターロック、でも新しいというメロディアスな名曲。
すべてのパートにおいて超絶技巧が聴けるので、誰がどのフレーズを演奏しているかを想像するのも楽しいですよ。
このアルバム、通して聴くと大きな仕掛けがあるのですが、ネタバレになるのでぜひ直接聴いてご自分の耳で確かめてみてください。
三曲目「窮屈、退屈、卑屈」イントロがとにかくかわいい!
スタッフさまたちが二曲目と三曲目でどちらを推し曲にするか悩んだのも納得です。ちなみにこの曲では門田氏のせつなくもクールな歌声のほかに楢原氏のウィスパリングヴォイスが聴けます(嬉)。
四曲目「神の犬」
門田氏の過去を彷彿とさせるキリキリとした音調。それを追い立てるように曲が求めている音色でピアノを弾く楢原氏は類い希なピアニストでもあります。
五曲目「瞳は野性、星はペット」
前とうってかわってご機嫌ナンバー。
いつだって、どこだって、恋をしている人は場違いなぐらいハイなものでありますが、恋人への優しさあふれるハネハネの曲です。
六曲目「ダイヤモンドは傷つかない」
サーティーンとルイの物語。
これを言葉にすることは、もはやできません。
音楽への夢と挑戦を体現してきた門田氏、poet-type.mの名に集った手練れのミュージシャンたちに拍手をして明日を生きる活力を得て、愛する人にウィンクを決めるしかないでしょう。

レビュー

《特別企画》春盤レビュー:P.N.撫子

なにもかも眠る冬が好きなのに春盤レビューを書きたいのは

門田さんの音楽の変わりようを目の当たりにしたからだ。

愛する人を守るために眠らせてしまう冬の名曲「倖」から、

恋人の目覚めをやさしく待つ「長い序章の終わり」まで、

リスナーの人たちに眠りと安らぎをもたらしてくれていた門田さんが、

「唱えよ、春 静か」で初めてわたしたちに夜しかない街での目覚めをうながしたことに
わたしは驚いた。

オケもドキドキわくわくするものになっている。

そこにはすべてにYESと宣言することを覚悟した門田さんがいた。

かといってその覚悟を押し付けるわけではなく、
リスナーが抱えてきた痛みを分かち合うように、
紅茶にレモンを添えるように自然に、
哀しみが添えられている。

まるですべてをYESから始めるように、
忌み数字の名を持つ女の子の目覚めを喜んで、
歓迎する門田さんは、とても優しい人なのだろう。

そういえば憎くて憎くてしかたなかった哀しい景色も、
BURGER NUDSをヘッドフォンで聴くと
フィルターをかけたみたいにかけがえのない思い出に変わったっけ。
門田さんは夜しかない街で
新しい魔法をかけるつもりなのかもしれない。
そこで花が咲くか
実が成るのかはわからないけど、
まずYESと始めることで、
見たことのない景色を見られるかもしれない。
ばっちり目の覚めたこの心で。

門田さんとPoet-type.Mとスタッフさま、リスナーのみなさまの門出を心から祝福し、深謝いたします。

祝福されて目覚めた心で、この春盤から始まる新しい音楽、「見たこともないものを好きなだけ」見られますように。

レビュー

《特別企画》夏盤レビュー:P.N. 文月弥生

夏盤。
の感想だが、筆者は一曲目のバネのいかれたベッドの上で(I don’t wanna grow up)で完全にやられた。
昔から門田は刹那に永遠を込めるのが得意な魔術師だったがさらにその純度を増して我々にその姿を晒してくれている。
サウンドプロデューサーには楢原氏が入っているが彼には一つことを突き詰め続けてきた人特有のユーモアがあり、それが門田氏のパッションと結びついた時の化学変化が凄まじい。
こうして未知の火花にも似た門田氏のポテンシャルは楢原氏およびバンドメンバーという極めて技術の高いフィジカルな音楽家たちによって見事夏の花火として花開いたのだ。
ここには意味のない音はないし存在理由のない言葉はない。
すべてが音楽の神の思惑通りいちとせが過ぎようとするこの一度しかない夏に、「いま君は何を為す?」と問われているかのようだ。
基本的な部分ミュージシャンが音楽をやる理由は言語化不可能ゆえに言うも野暮だし聞くも語るも愚問だし間違いだが、門田氏は愛と追悼の夏盤で、すこしそれにふれている。
キーワードは夏の生の象徴である「花火」と数々の符丁で示される「死と永遠」だ。
門田が音楽をやり続ける理由、それは風車に向かう騎士に似てすこし、あはれで、とても綺麗だ。
この夏盤。はそれにふれられる奇跡の一枚になるだろう。
門田氏は芥川の言う「紫の火花」をつかんだ。
換言すると数学者岡潔氏の言葉になる「生命の燃焼」によって生まれた一枚を、ぜひ多くの人に聴いてほしい。

レビュー

《特別企画》夏盤レビュー : P.N. アリ

私が門田匡陽氏を知ったのは13年前のこと。
当時17歳で、これが自分の人生だなんて到底受け入れらない家庭環境に取り囲まれていた私は、ハッピーエンドを心底求めて日夜映画や小説のフィクションの世界に棲みついていた。

姫路のタワーレコードで目に留まって手にしたkageokuri、これが門田匡陽氏の音楽との出会いだった。
“立ち向かえ”とも”逃げろ”とも唄わない彼らの音楽は、私の体中に散漫して広がった。
初めて”綺麗な音楽を聞いた”と思った。
私がBURGERNUDSを愛したのは、とても自然なことだった。
いつも彼らの音楽がすぐそばにあって、時に自分の今に歌詞を合わせてみたり。時に家路を辿るサウンドトラックになったり。
大切なこと、大事なこと、想像力や感情を与えてもらった。

でも彼らは解散を選んだ。
私の居場所が無くなってしまう、想像力や感情を失う。大袈裟に言わないでもそんな想いだった。

不安を抱えつつ一人で夜行バスに乗って向かった東京。
2004年6月21です。
台風やったっけ。風が凄かった。
ヘッドフォンで聴くよりも近くに、私の目の前に確かに彼らは存在していた。
解散の理由を知ったのはずっと後からだったけど、当時の私にはBURGERの曲がもう聞けないという強迫観念みたいなものしかなくて、アンコールが始まってしまっても、頼むから終わらんといて、と叶うはずもない何かに必死に祈ることしか出来なかった。
夜行バスに乗り遅れそうになりながら、泣いて走った。
バスに乗っても泣き続けた。
そのくらい、文字通りかけがえのないバンドだった。

近所のCD屋に取り扱いがなく、インターネットで注文し、待ち望んだ「四人のゴブリン大いに踊る」には、私が求めていた門田匡陽氏は居なかった。
若さ故に頑固だった私には、愛したバンドを作っていた人の音楽が変わってゆくことに理解出来ず、投げ出した。
自分だけが変わらないなどと思っていて、取り残されたような気持ちになって、変わってゆくものに対し諦観を決め込む、そんな気持ちだったように思う。

その日から私にとって、門田匡陽氏の音楽とは、BURGERNUDSのみになった。

2014年6月21日。
BURGERNUDSの復活ライブ。
今度は新幹線で行った。
何もかも10年前とは違う。
年も、環境も、自分も。
何もかも変わったと思っていた。
“みぞおちが痛いほど楽しみなのに不安”
そんなライブに行くなんて初めて。

ミナソコのイントロが鳴った瞬間、嗚咽した。嗚咽というより慟哭です。
私の中に隠れていただけで、消え去ることなく居続けていたあの残虐な景色と共に、こんなにも何も変わっていなかったことに気付いた。
もちろん先ほど書いた”当たり前に変わるもの”とは別の、もっと人間の根源にあるようなもの。
自分自身にも、門田匡陽氏にもそれを感じたのです。

7月1日。
夏盤を買いに行った。
音楽について詳しいことは分からなくたって、確かに門田匡陽氏が唄っているものが、BURGERNUDSで彼が唄っていたことと何も変わっていなかったことに気付いた。
変わるものは洗練な進化を混ぜて、変わらないものはそのまま。

一度聞けば覚えることのできる音楽。
孤独を忘れたフリして、誰かと騒ぐ為だけに必要な音楽。
共有することで、この世の中に自分が溶け込んでいると錯覚する為の音楽。

Poet-type.Mの音楽は、それらのどれとも違う。

静かな夜に、ヘッドフォンをつけ目を瞑って音楽を聴いたのは何年ぶりだろう。
聴く毎にイメージが変わっていく音楽に触れたのはいつぶりだろう。
それはやっぱり、門田匡陽氏が作った音楽だった。

初めてkageokuriを聞いた時に思った言葉が、口から出た。
「なんて綺麗な音楽なんやろう」と。
声に、歌詞に、メロディーにそれを感じた。
変わったんじゃない、消えたんでもない。

夏盤のレビューというテーマに見合ってないかもしれません。
でも私にとって彼の作る音楽の、一曲一曲の感想を言うのはとても困難なことなのです。
13年経った今でも「独り言」の良さがうまく説明出来ないみたいに。
聞く状況が違うだけで、こんなにも印象が変わるのだから。
それが”真に素晴らしい音楽”ということではないでしょうか。
私にとってはそのものです。

春盤、そしてwhite white whiteも購入しました。
これからずっと、長い間ゆっくり時間をかけて、私の人生にストンと大切な何かを与え続けてくれる、大事な宝物が増えました。

片田舎に住んでいる私にとって、ライブへ足を運ぶことはなかなか難しいことですが、festival M.O.N美学の勝利のチケットが取れますようにと心から願う次第です。

文字制限なしとは言えど、拙い文章ですし、書くかも迷いました。
ですがきっと、門田氏を陰ながら支えているあなたなら、分かってもらえるんじゃないかと思っています。
貴重なライブ動画のYouTubeへのアップ、いつもありがとうございます。
「調律するかのように」泣きました。
何故なのかわからないけど、そういうことなんでしょうね。

門田匡陽氏にお伝えください。
綺麗な音楽をありがとう。
気付かせてくれてありがとう。
ずっとずっと唄い続けてください。
ずっとずっと聴き続けます。

愛を込めて。