昼間の賑やかさは自分の心の呟きを埋もれさせ、自分と他の誰かの境界線を曖昧にします。
明るさは時に「他人と同じことで在る事」を求めます。
僕らの生活は明るすぎる地下鉄の中で下品な中吊り広告を読まされ、
PC を開くと関係無いアファリエイト広告に監視され、
何が面白くて、何がつまんないかをトピックサイトに押し付けられます。
そしてそれを学校や会社で話すことで確認する。まるでSF 小説に出てきそうな暮らしです。
管理を超えた監視の度合い(既読とか)同調。共有は「いいね」や「シェア」という名の軽さを纏い、
吹けば飛ぶような価値観が蔓延しているように思えます。
だからたまに忘れたことも忘れてしまうのです。
僕らの優しは人の気持ちを解ろうとして、だからこそ自分の気持ちが一番解らなくなっています。
それは音楽にも言える事、テーマを忘れたアルバム、表現の源を何処かに置き忘れたミュージシャンが多い。
別に良いけど、多すぎる。
僕は夜の静かさや寂しさ、美しさが子供の頃から大好きでした。
街の灯が語りかける心の脆さ、理由もなく見上げた夜空の星の数に嬉しくなったりする事。
遠くの街から聴こえてくる花火の音や、音も無く降る雪。
そして闇。
見えない。ということはみんなと同じお面を取っても誰も気にしない。ということです。
ちゃんと1 人が独りであることを認識させてくれる時間と空間。
僕が「A Place, Dark&Dark」という4枚のミニアルバムで切り出そうと考えているのは、
恐らくそういう事です。
本当は他人の価値観に寄りかかるほど弱くない人たちの音楽、
自分の好きな配役を選んで生きる一人、独りの群像劇です。